死んだら自分の意識は?【7つの疑問】無になるのかどこに行くのか

死んだら自分の意識は?【7つの疑問】無になるのかどこに行くのか

んだら、自分の意識ってどうなるんだろう? 誰でも一度は考える疑問です。

科学や医学的には、「死ぬことは意識もなくなり無になる」そう考えます。しかし、臨死体験者は三途の川を見たり、すでに亡くなった人と会話したりという報告があり、とてもリアルです。

今回は、人の死に関する「三途の川」や、「四十九日」などの疑問を紹介します。

1.死んだら自分の意識は

意識や魂は、肉体が消滅した後も残り続け、記憶や経験を記録します。

healingood編集部
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昔から「死後も存在が無になるわけではない」と、考えられていました。

死後に対する恐怖を軽減し、少しでも希望を見出そうとしたのでしょう。

生まれ変わるまでは、肉体が消滅しても意識は残り、存在し続けます。

死ぬときは眠るように意識がなくなっても、朝、目が覚めるように再びこの世に誕生するでしょう。

 

2.死んだら、亡くなった人に会える

死んだら死んだ人に会える

亡くなると「お迎えが来る」という表現をよく見かけます。

死後のような未知の世界は、どんなものかよくわからず、不安に感じるでしょう。そんなときは、知っている誰かが迎えに来てくれれば心強いです。

実際に来てくれるのは先祖が多く、迎えに来てほしい人に出会えるのは、レアケースになります。

たいていは血がつながっている祖父母か曾祖父母、早世した父母です。いずれにせよ、誰が迎えに来てもしっかりと死出の旅路をサポートしてくれるので、心配はありません。

普段は死を意識せずに生活しているため、大切な人が亡くなってはじめて死を目の当たりにすればうろたえるでしょう。

故人にもう一度会いたいという気持ちが、願望を呼び起こすとも考えられています。

healingood編集部
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死んでからすぐに生まれ変わるわけではありません。しかし、会いたいと思っていた人に会える可能性はあります。

生前に魂が成熟しきっていた人は、お迎えを必要としないことが多いです。

 

3.科学が解明する死後の意識

近年、科学界では死後の意識に関する研究が進んでいます。

とくに心停止後の意識の存続については、多くの科学者や医師が関心を寄せています。

英国サウサンプトン大学でおこなわれたある研究では、心停止状態にあった患者のなかにも、意識的な体験を報告した人がいることが明らかにされました。

心停止患者2060人のうち、蘇生した330人の中の101人に対して、後に2段階に及ぶ詳細な聞き取り調査を行った。データは英国、オーストリア、米国にある15か所の病院の心停止患者2000人以上に関するものが用いられた。

その結果、39%の患者が、心臓が再始動する前に意識があることを自覚していたが、その間に起きた出来事については明確な記憶がないと答えた。

引用:https://www.afpbb.com/articles/-/3028501

この研究は、心停止と脳活動の関係を探る上での重要な一歩となり、死後の意識が存在する可能性を示唆しています。

心停止後の意識の研究

このサウサンプトン大学の研究では、蘇生した患者たちが体験した意識の内容を詳細に調査しました。

心臓が停止しているにも関わらず、患者たちは光や、自身を上空から見下ろしている感覚、さらには故人との再会など、さまざまな臨死体験を報告しています。

これらの報告は、従来の医学的理解を超えた現象をしめしており、科学者たちはこれらの体験が単なる幻覚や脳の最後の反射作用ではない可能性について考察しています。

 

臨死体験と脳活動

さらに、臨死体験の際の脳活動に関する研究も注目されています。

一部の研究では、心停止後も脳の特定の部位に活動が見られることが報告されており、これが臨死体験の原因である可能性が指摘されています。

また、心停止からの回復過程で患者が体験する意識的な体験は、脳の特定の活動パターンと関連していることがしめされています。

これらの研究結果は、死後の意識がどのようにして経験されるのか、そしてその意識がどのような形で存続するのかについての理解を深めるものです。

米国と英国の25の病院に2017年5月~2020年3月に入院し、入院中に心停止となった567人。このうち10%未満の患者がCPRにより蘇生し生存退院した。また、この対象とは別に、心停止から生還しその際の記憶があると自己報告した、126人を対象とするインタビュー調査が行われた。

引用:心肺蘇生で帰還した5人に1人が臨死体験?

これらの科学的探求はまだ初期段階です。

しかし、死後の意識に関する我々の理解を根本から変える可能性を秘めています。

科学者たちは、これらの現象がしめす意識の本質や、人間の存在についての根本的な疑問に答えを出すために、さらなる研究を重ねています。

死後の意識についてのこれらの研究は、科学とスピリチュアリティの交差点において、新たな議論を生み出しています。

 

4.宗教と死後の世界

宗教は、人生の最終段階や存在の意義に対する理解を深める枠組みを提供します。

とくに、キリスト教とイスラム教は、死後の世界に関する独自の教えを持っており、それぞれが信者に死とその後の存在に対する希望と指針をあたえています。

キリスト教の教え(カトリックとプロテスタント)

キリスト教における死後の世界の概念は、カトリックとプロテスタントで若干の違いがありますが、共通するのは死後の生があるという信念です。

カトリック

カトリック教会は、死後の世界として天国、地獄、そして煉獄(れんごく)を教えています。

煉獄は、天国へ行く前に魂が浄化される場所とされ、完全に罪から解放されるための中間的な状態です。

カトリックでは、死後すぐに個人的な審判があり、その人の魂がどこへ行くかが決定されます。

プロテスタント

プロテスタントの多くは煉獄の概念を受け入れず、信者は死後直接天国へ行くか地獄へ行くかが決まると教えています。

プロテスタントでは、個人の信仰によって救われるという教えが強調され、キリストへの信仰を通じてのみ天国への入場が保証されるとされています。

 

イスラム教の死生観

イスラム教では、死は一時的な分離であり、最終的にはすべての人が復活し、最終的な審判を受けると教えています。

イスラム教における死後の世界は、極楽(ジャンナ)と地獄(ジャハンナム)にわかれています。

善行を積んだ信者はジャンナへ行き、罪を犯した者はジャハンナムへ送られるとされています。

イスラム教では、この世でのおこないが死後の運命を左右するとされ、信仰深く善良な生活を送ることが強調されます。

これらの宗教は、死後の世界に対する異なる視点を提供し、信者にとっては人生の意味や死の受け止めかた、生きかたの指針となっています。

それぞれの教えは、深い慰めや希望、そして生と死に対する理解を深めるためのものです。

 

5.死んだらどうなる

死んだらどうなる

死後の世界で多い疑問として、「死んだら人間はどこに行く」・「四十九日」・「死後何年で生まれ変わる(輪廻転生)」・「三途の川」が多いです。

この4つの疑問をまとめました。

疑問1:死んだ人はどこへ行くの?

死んだ後はしばらくの間この世に留まり、残像として肉体の周辺をさまよいます。

はじめは、魂が肉体からなかなか離れられず苦労するでしょう。

1週間ほど経つと死を自覚し、受け入れてあの世に旅立ちます。

四十九日が過ぎるまでは、ときどき家族や自宅の周辺に来て、見守ってくれるでしょう。

healingood編集部
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肉体から離れたため、自由にどこへでもいけるようになり、今までいけなかった場所にいって楽しむ人もいます。

すぐに遠い世界に旅立ってしまうわけではなく、姿は見えなくなってもそばで寄り添ってくれるのが答えです。

 

疑問2:死んだら四十九日までどうしてる?

亡くなった人の魂は、四十九日が過ぎるまではこの世に留まっています。

healingood編集部
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たいていは自宅や家族の様子を懐かしみ、名残を惜しんで過ごす人がほとんどです。

この世界で最後の生活を楽しみ、満足してからあの世へ旅立つでしょう。

死んでから四十九日が経つと、生前の罪に対する審判がおこなわれます。

魂がこの世に留まっている間に、残された人々が、たくさん冥福を祈って故人の罪が軽くなります。

魂の救済を祈るたびに、遺族の心も癒さるでしょう。

healingood編集部
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未練がなくなれば四十九日の前に旅立つ人もいます。

四十九日法要が終わると、残された人々も心の整理がつき、新たな日常生活のはじまりです。

 

疑問3:死んでから何年で生まれ変わる?

死んでから何年で生まれ変わる?

死んでから生まれ変わるのにかかる時間は、人によってかなり差があります。

未練がない人は数か月で生まれ変わったり、地獄に落ちた人は何百年とかかるでしょう。

宗教によって考えかたに違いは見られるものの、最短で4年~5年、平均すると百年前後。子供の場合は、周期が短いです。

魂のレベルが高ければ高いほど、あの世にいる期間が長くなります。

あの世とこの世では、時間の流れかたが違うので、こちらでは何百年という年月が経っていても、あの世では数か月しか経っていません。

すぐに生まれ変わりたいか、次に何を学びたいかなど、本人の意思も関係。守護霊が転生の時期や、回数をアドバイスするケースもあります。

 

疑問4:死んだら三途の川を渡る?

死んだら三途の川を渡る?

人は亡くなると三途の川を渡るとよくいわれています。これは、仏教独自の考えかたではありません。

この世とあの世が川で隔てられている概念は、世界中で見られ、人々の意識に幅広く浸透しています。

healingood編集部
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日本で伝えられている三途の川は、400キロ以上の大きな川で、向こう岸が見えません。

三途の川には、通り道が3種類あり、罪がない人はキレイな橋を罪が軽い人は膝下くらいの浅い川を渡れます。

重罪人は、大きな石だらけの激流を渡る決まりです。ただし、浄土真宗など一部の宗派では、三途の川信仰を取り入れていません。

浄土真宗では、死んだらすぐに阿弥陀如来が迎えに来てくれて、誰もが極楽浄土にたどりつき、救済される教えを信仰しています。

 

6.人はなぜ死ぬのが怖いのか?

人はなぜ死ぬのが怖いのか?

今生きている人は、誰も死んだ経験がありません。死とはどういう様相か見当もつかない。周囲の人に聞いても、誰も知らない実態が、恐怖を誘います。

これから自分自身がどうなるか、見当もつかず怖いのは当然。

人が何かを怖いと思う理由のひとつに、「知らない」・「理解できない」があります。したがって、死とは何か、死後の世界とはどういうものか、知識をつけて死を迎える準備が必要です。

人から忘れ去られてしまうのは、想像するだけで悲しいでしょう。自分が生きていた証が何も残らず、人々の記憶から消えてしまう事実が恐ろしかったり、さびしくなったりします。

healingood編集部
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今の人生が充実している人ほど、死ぬのが怖いと感じる傾向が強いです。

かけがえのない人や財産、経験などを失う……。忘れられていく諸行無常に耐えられず、生に執着します。

 

7.臨死体験から学ぶ意識の旅

臨死体験(NDE: Near-Death Experience)は、死の間際や臨床的に死んだとされる状況から生還した人々が報告する、非常に個人的で深い体験です。

これらの体験は文化や地域を超えて報告されており、科学、医学、心理学、そしてスピリチュアルな領域において広く研究されています。

特に、浮遊感、平和感、そして光への引き寄せといった体験は、多くのNDEのなかで共通して報告される特徴です。

浮遊感と平和感

多くのNDEの体験者は、自分の肉体から離れて、上空から自身や周囲の状況を客観的に見下ろす「浮遊感」を報告しています。

この浮遊感はしばしば、すべての恐怖や苦痛から解放された深い「平和感」とともに体験されます。

これらの感覚は、生きることの苦しみや恐怖から一時的にでも解放されることの喜びを象徴しているとも解釈されています。

臨死体験者は、この平和感を通じて、人生や死に対する新たな理解や受け入れが得られると述べています。

 

光への引き寄せとその解釈

また、光への引き寄せはNDEのなかでもとくに顕著な特徴のひとつです。

体験者は、強烈で温かい光に向かって引き寄せられる感覚を報告しており、この光は「愛の光」とも表現されます。

この光体験は、人々が死の直後に体験するとされる霊的な次元や存在との交流と解釈されることもあります。

科学的な観点からは、この現象は脳の特定の生理的反応によるものとの説もありますが、多くの体験者にとっては、人間の精神が肉体を超えた存在へと進むことの象徴として深い意味を持つものです。

これらの体験は、死という人生の最終段階を通じて、私たちの意識がどのように旅を続けるのかについての洞察を提供しています。

臨死体験から学ぶ意識の旅は、私たちに人間の存在の深遠な謎について考えさせ、死後の世界に対する恐れをやわらげ、人生をより豊かに生きるための新たな視点をあたえることができます。

 

死んだら自分の意識がどうなるのかのまとめ

死んだら自分の意識や魂は、肉体が消滅した後も残り続け、記憶や経験を記録します。

しかし、死んだらすべて無になると考えるのが一般的。死んだときは目覚めるはずがないので、永遠に意識のない状態になります。

死んだら、亡くなった人に会えると考えられていますが、実際に来てくれるのは先祖が多く、迎えに来てほしい人に出会えるのは、レアケースです。

死んだ人は、しばらくの間この世に留まり、残像として肉体の周辺をさまよいます。その期間が四十九日です。

亡くなった人の魂は、四十九日が過ぎるまではこの世に留まっています。

人は死んでから最短で4年~5年、平均すると百年前後。子供の場合は、周期が短いです。そして、魂のレベルが高ければ高いほど、あの世にいる期間が長くなります。

死後の世界でよく耳にする「三途の川」ですが、罪がない人はキレイな橋を罪が軽い人は膝下くらい。そして重罪人は、大きな石だらけの激流を渡る決まりです。

死を恐れる理由として、誰も死んだ経験がありません。死とはどういう様相か見当もつかない、誰も知らない実態が、恐怖を誘います。

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